2021/02/24
義母との距離の取り方
先日の家族旅行でつくづく、義兄は優しい人だと思った。運転しながら、義母に
「ほら、おばあさん、桜が咲いている。」
「ほら、菜の花がきれいだ。」
「海が見えてきたよ、見える?おばあさん。」
と甲斐甲斐しく声をかける。
ホテルの駿河湾に面した部屋では浴室からも海が見えた。
その浴室で義兄が義母を入浴させた。
浴室の内と外で義母と義兄2人、
寒いだの、海が見えるぞだの大騒ぎだったが
(義母は一人での入浴が怖いので、誰かが外で見るようにしている)
義母はそれなりに気が晴れたのだろう、
これでもうお風呂は充分、と言った。
湯につかっただけで身体は洗ったかもしれないが
髪を洗うことはしていないはずだが
義兄嫁さんと私、そのまま黙っていた。
翌朝早朝、まだ皆が寝ている時間帯に
私は一人、お風呂にでかけた。
寝息を立てている義兄嫁さんを起こしてまで
一緒にお風呂行きましょう、と誘うほどの子供ではないし
自分の好きに動くので良し、はお互い承知のこと。
少しして義兄嫁さんもお風呂へやってきた。
2人、それぞれのペースで湯を楽しんで部屋に戻ると
義母が起きてきて、どこへ行っていたかと聞くので
お風呂に行ってきたと答えた。
すると義母、私も行きたかった連れて行ってほしかった、と。
私「だっておばあさん、昨日、お風呂はもういかないって言ったし。」
義兄嫁「おばあさん寝ていたから起こさなかったの。」
義母そこで黙って話は終わった。
朝食後、義母を大浴場へ連れていく時間はなかった。
ゆっくり時間をかけてご飯食べていたら
あっという間にホテルを出る時間だ。
・・・時間があったら連れて行ったかなあ?
私は行かなかったと思う。
義母の毎度毎度繰り返される言動にウンザリしていたから。
本当はそうしたいのに、迷っているそぶりを見せ
「連れて行ってほしいけど、連れていくあんたたちが大変だもんねえ。
迷惑だら?」とこちらに責があるような言い回しをする。
今回のように、後だしじゃんけんではないが、
誰かが行動した姿を見てから私もそうしたかったのに
(あなたたちが誘ってくれなかった)とすねる姿を見せ
相手に申し訳ない気分を持たせてその償いをさせようとする。
この場合は私たちが「おばあさん、お風呂に誘わなくてすみません」
と謝り、お風呂に連れていく、のが義母に対する正解なんだろうけど。
義母は無意識に
自分の意志は隠して周囲の陰に隠れるやり口が得策だと、
今までの人生で習得しているんだな、
これ、30数年前に義母との関係が始まってから
何度となくいろいろな場面で繰り返されていたことで
過去には多々、義母の言動に振り回されたけど
今はもう、そんなことはしたくないな。
認知症があろうとなかろうと、
自分のしたいこと、嫌なことは
シンプルに素直に、こうしたいと口にしてほしい、
言わないことまでこちらが忖度して動かざるを得ない状況、
それはまだまだ先になるんじゃないかな?
つまり言葉なり表情なりで自分の意志表示ができなくなる状態。。
だから、私は黙っていたし、義兄嫁さんも黙っていたのは
同じ思いがあったのではないだろうか。
老いた義母と向き合うにあたり、そもそもこれが
認知症の症状なのか、もともとの性質が煮詰まって濃くなったものなのか、
これは見極めたいと思う。
義母は先に書いたように、周囲を振り回すしたたかさ、狡猾さと共に
強い劣等感と顕示欲が複雑に葛藤をおこしている。
時には義母の葛藤を断ち切るように強くたしなめることもある、
あ、私ではなく息子である連れ合いが、だけど。。
義兄、連れ合いとも義母の性格の問題点は承知していて
それぞれに自分と義母との距離はつまりすぎないように計っている、
義兄嫁さんと私も同じだ。関わり方の強弱の違いはあれ
義母の底なしの欲求沼に引きずり込まれないように
我が身を守っていなければ介護は続かない。
ある意味、狐とタヌキの騙し合いに近い、
私たちを掌の上で右往左往させたい義母と、
それを時に無視し、時に拒絶し、時に従う私たち。
誰にとっての正解、ではなくて
義兄、義兄嫁さん、連れ合い、私、それぞれの
思いを背景に向き合うのをお互い認め合いつつ
介護が進むのが平和で現実的なように思っている。