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義母との距離の取り方

先日の家族旅行でつくづく、義兄は優しい人だと思った。
運転しながら、義母に
「ほら、おばあさん、桜が咲いている。」
「ほら、菜の花がきれいだ。」
「海が見えてきたよ、見える?おばあさん。」
と甲斐甲斐しく声をかける。

ホテルの駿河湾に面した部屋では浴室からも海が見えた。
その浴室で義兄が義母を入浴させた。
浴室の内と外で義母と義兄2人、
寒いだの、海が見えるぞだの大騒ぎだったが
(義母は一人での入浴が怖いので、誰かが外で見るようにしている)
義母はそれなりに気が晴れたのだろう、
これでもうお風呂は充分、と言った。
湯につかっただけで身体は洗ったかもしれないが
髪を洗うことはしていないはずだが
義兄嫁さんと私、そのまま黙っていた。

翌朝早朝、まだ皆が寝ている時間帯に
私は一人、お風呂にでかけた。
寝息を立てている義兄嫁さんを起こしてまで
一緒にお風呂行きましょう、と誘うほどの子供ではないし
自分の好きに動くので良し、はお互い承知のこと。
少しして義兄嫁さんもお風呂へやってきた。
2人、それぞれのペースで湯を楽しんで部屋に戻ると
義母が起きてきて、どこへ行っていたかと聞くので
お風呂に行ってきたと答えた。
すると義母、私も行きたかった連れて行ってほしかった、と。
私「だっておばあさん、昨日、お風呂はもういかないって言ったし。」
義兄嫁「おばあさん寝ていたから起こさなかったの。」
義母そこで黙って話は終わった。

朝食後、義母を大浴場へ連れていく時間はなかった。
ゆっくり時間をかけてご飯食べていたら
あっという間にホテルを出る時間だ。
・・・時間があったら連れて行ったかなあ?
私は行かなかったと思う。
義母の毎度毎度繰り返される言動にウンザリしていたから。
本当はそうしたいのに、迷っているそぶりを見せ
「連れて行ってほしいけど、連れていくあんたたちが大変だもんねえ。
迷惑だら?」とこちらに責があるような言い回しをする。
今回のように、後だしじゃんけんではないが、
誰かが行動した姿を見てから私もそうしたかったのに
(あなたたちが誘ってくれなかった)とすねる姿を見せ
相手に申し訳ない気分を持たせてその償いをさせようとする。
この場合は私たちが「おばあさん、お風呂に誘わなくてすみません」
と謝り、お風呂に連れていく、のが義母に対する正解なんだろうけど。
義母は無意識に
自分の意志は隠して周囲の陰に隠れるやり口が得策だと、
今までの人生で習得しているんだな、
これ、30数年前に義母との関係が始まってから
何度となくいろいろな場面で繰り返されていたことで
過去には多々、義母の言動に振り回されたけど
今はもう、そんなことはしたくないな。
認知症があろうとなかろうと、
自分のしたいこと、嫌なことは
シンプルに素直に、こうしたいと口にしてほしい、
言わないことまでこちらが忖度して動かざるを得ない状況、
それはまだまだ先になるんじゃないかな?
つまり言葉なり表情なりで自分の意志表示ができなくなる状態。。

だから、私は黙っていたし、義兄嫁さんも黙っていたのは
同じ思いがあったのではないだろうか。
老いた義母と向き合うにあたり、そもそもこれが
認知症の症状なのか、もともとの性質が煮詰まって濃くなったものなのか、
これは見極めたいと思う。
義母は先に書いたように、周囲を振り回すしたたかさ、狡猾さと共に
強い劣等感と顕示欲が複雑に葛藤をおこしている。
時には義母の葛藤を断ち切るように強くたしなめることもある、
あ、私ではなく息子である連れ合いが、だけど。。

義兄、連れ合いとも義母の性格の問題点は承知していて
それぞれに自分と義母との距離はつまりすぎないように計っている、
義兄嫁さんと私も同じだ。関わり方の強弱の違いはあれ
義母の底なしの欲求沼に引きずり込まれないように
我が身を守っていなければ介護は続かない。
ある意味、狐とタヌキの騙し合いに近い、
私たちを掌の上で右往左往させたい義母と、
それを時に無視し、時に拒絶し、時に従う私たち。
誰にとっての正解、ではなくて
義兄、義兄嫁さん、連れ合い、私、それぞれの
思いを背景に向き合うのをお互い認め合いつつ
介護が進むのが平和で現実的なように思っている。

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恒例の一泊旅行

定期的に義母連れての家族5人旅行(義兄夫婦と私たち夫婦)、
一昨年までは年に1,2度ペースだったが
昨年秋からは2カ月に一度にペースが上がっている。
予想だにしなかった新型コロナの影響もあって
世の中いつ何が起きるかわからないという至極当たり前の事に加え
義母の老いも加速してきて、(92歳になった)
歩けるうちに、目で楽しめることができるうちに、つまり
行けるうちに連れて行こうという義兄の思いだ。
行先は車で一時間圏内だから
一泊旅行とはいってもほぼ遠足のようなもの。
宿泊先条件はとにもかくにも
・洋式トイレが部屋にある事
・ベッドがある事
・食事処も椅子タイプである事
・大浴場までエレベータで行くことができる事
・大浴場がフラットで滑りにくく安全な事
過去に利用したホテルや民宿では大浴場へ行くのに
長い廊下を歩いた上に更に階段を降りなくてはならない、
特に女湯が階下にある、というパターンがあって
足の悪い義母を連れていくのに難儀したこと多々。
いくら車いすの貸し出しがあってもエレベータ無しで
義母を階段おろすのは無理なのだ。
更に最近は義母ならず義兄嫁さんと私も膝や腰が痛いお年頃、
義母の為ばかりでなく嫁の私たちにもこの条件は重要なのだ。

で、今回の宿泊ホテルは昨秋から連続して3度目の利用になる。
理由はもちろん、上記の条件を満足しているから、だ。
更に公式HPからの予約でグループ割を利用すると
1泊2食付き和洋室(ベット2台の洋室+10畳の和室)5人利用で
35,000円強で利用できるというのも魅力。
もちろん私たちの優先順位が食事にないから、であって
食事は朝夕ともバイキング形式でしかもこのご時世、
宿泊客が少ないから従業員も最低人数で回している上、
食品ロス対策もあるのだろう全体の料理点数が以前より少ない。
ちょっと時間を遅く食事会場に入ると料理の補充がされず
空になった大皿が放置されていたりするのをみると侘しく思うこともある。
それでも家で食べるより品数は多いし、義母はあれこれ
しっかり量を食べて喜んでいるからそれで良し、なのだ。

駿河湾を望む部屋からの夕日
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連日強風が続いてこの日も海には白波が立っていた。
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翌日は風も治まって快晴、ただし空気はこの時期らしい冷たさ。
帰路、西伊豆の海沿いから富士山。

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河津桜の並木。
近くの人が散策して静かに楽しんでいたよ。

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新型コロナ対策は義母には容易ではない。
ホテルでも部屋を一歩出たらマスク必須、
車を降りたら即マスク、ところが
義母はマスクを外すとどこに仕舞ったか忘れてしまう。
普通、バッグの中か上着のポケットか、と思うのだが
どこをひっくり返しても見つからない、
あちこち探すのに時間が過ぎてしまう。
ひょっとしたら鼻をふいたようなチリ紙の丸めたのの中にあるかも?
と思うがそれをほどいてまで探すのも嫌だし、
義母も探すほうも消耗してしまうから、
義母には外に出るたびに新しいマスクを用意しておこうということに。
高齢者連れの旅は2時間ごとのトイレ休憩に加えて都度マスク用意が必須。

旅行に行くよと最初に伝えた時の義母の反応は例のごとく
私は行かない、だった。
ところが出かける2日前から今日は旅行の日、と支度して
義兄家に催促の電話を頻繁にしていたという、
前日には我が家にも電話をしてきた。
楽しみでもあるし、認知症の進行で物忘れがひどくなり、
予定を忘れないようにという強迫もあるのかもしれない、
(カレンダーに出かける日を〇してあるのだが
それと、今日の日の連携がおぼつかないようだ)
楽しいこともストレスになるのだと思うが
それならストレスのない生活というのは例えば義母には
嫌なことはもちろん、楽しいことも何事も起こらず結果として刺激のない日々、
認知症を進行させ、歩く筋力体力を奪う「無」の状態に進むことか?
ストレスのない心身とも健康な生活、ってどういうことだろう。。
「細く長く」か「太く短く」の喩えとは違う別の構え方があるように思うが。。
介護に限らずどの年代にも共通する疑問だよね。。
兎にも角にも義母、記憶と足腰は衰えたと言え
食べっぷりの良さは抜群で歯と胃の丈夫さは私たちの比ではない。
寝込まないように、ケガしないように注意をし
外に連れ出す(食事でも買い物など)機会を維持していけば
まだまだ次回も旅行に行けそうに思うが
確かに足元は薄氷を踏むが如し、危うい状態であることも確かだ。
今の状態から一つ、状況が進んで(悪化という意味しかない)
歩けなくなった時にどうするか、そんなことも現実味を帯びて
義兄達と相談する日が近いかもしれないなあ。。

夏みかん

先日、連れ合いが整理した茶畑に植えられている梅に白い花が咲き始めた。

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今年は2月だというのに気温が15度を超える日もあって
なんだか気味が悪い。
たいてい2月は冷え込む日々に暖かい春を待ち遠しく思うのが常なのに
既に3月4月のようだ。
風の強い日も多くて畑の夏みかんが幾つも実を落としていた。
もったいないので拾い集めて加工することとした。

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植えっぱなしで肥料や農薬等一切使っていない、
枝を剪定する以外、放任状態なのだが
毎年、量に差があるとはいえ実をつけてくれる有難さ。

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実は酸っぱい、中には果汁が殆どなくてスカスカのものもある。
果汁が絞れるものは皮と共にマーマレードにしたり
実を取り出して砂糖をまぶして、毎晩夕食に楽しむ梅酒割に入れたりするほか
皮だけをシロップ煮にしたり。
薄く切って三温糖とラム酒で煮たあと、乾かしてグラニュー糖をまぶせば良いだろうけど
面倒なので、シロップ液に漬けたまま冷蔵・冷凍へ。

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果汁が少ないような実も、絞り器を使ってジュースにする。
なんとなく無駄なく使い切った気分にはなる。

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同じように橙も加工した。
今はスマホでもタブレットでもレシピを検索できるから
家にある材料でなるべく簡単に、それなりに結果を出せる調理法は
思いついた時に幾らでも調べることができる。
私のような不器用で適当な人間には福音と言える。

先日千葉の母から食べきれないからと
野菜やみかん、そして手製のジャムなどが送られてきた。
子供のころの母はフルタイムのパート仕事に出ていて
祖母が台所仕事を請け負っていたから、私の中では
母が手作りでジャム等を作るというイメージはなかった。
料理の本はいろいろあったけど、それを元に母が何か調理するという
記憶はあまりなかった。
祖母や同居していた叔母(父の姉、つまり母には小姑になる)を
それぞれ介護し見送るのと共に、自由に台所を切り盛りできる時間ができ
更に誘われてボランティア活動で一人暮らしの高齢者へのお弁当作りに
参加するようになって一層、料理することの刺激がでたのかもしれない。
毎年春にせっせといちごジャムを作ってご近所に配って喜ばれていると
(お世辞もあるとはいえ)本人は悦に入っていて
春にはジャム、合間合間に野菜果物やワカメ等々自分で食べきれないものも
我が家にも送ってくれるのが、すなわち母の元気で健康の安否確認でもある。

まあ、私はまだ安否確認を気にしてもらうような年齢ではないけれどね、
このウイルス禍で外出は半径5km程度の日常散歩程度、
それでも家にこもってちまちま簡単にできる程度の手仕事を探して過ごすのは
案外楽しいなと思っていて、大鍋いっぱいに作ったシロップ煮を
子供たちに送る準備をしている。母に倣って、というところかな?

茶畑仕舞い

我が家に隣接しているお茶畑。
自宅消費用に栽培されていたもので
いつから植えられているのか定かではないが
5月連休には義母が親類や友人を呼んで
賑やかにお茶摘みをしていた。
自宅用だから3時間ほどで摘み取ってしまえるが
合間に青空の下でみんなで一服するお茶タイムや
終わった後のお昼ご飯が一つの行事だったのだろう。
我が家のすぐ横にあるお茶畑だから
一緒に手伝ったこともあるし、
呼ばれても自分の用事優先で顔を出さずにいたこともある。

このお茶摘み、昨年は行わなかった。
新型コロナの影響もあるが、この数年に義父の他、
手伝いに来てくれていた親類も一人二人と亡くなっていき、
このお茶摘み行事の中心にいた義母も
口ではお茶摘みをしなくては、というものの
体力的にはもう采配を振るうのは不可能、
実質、自然消滅という感じである。

そもそも義母の指示で新芽の摘み方を教わって手摘みした茶葉も
実はお茶工場へ運ぶと他家のものと取りまとめられて加工される。
(我が家の分だけで加工されるほどの収穫量はない)
工場へ運んだ時の茶葉の重さを元に、
加工された新茶を受け取るわけだから
「我が家の茶畑の新茶」というわけではない。
他家のお茶畑のお茶、だったりするわけだ。
金額的にも決して安いものではないから
(店で新茶を買ったほうが安かったりする)
まさに田植えに並ぶ、
一族の春の恒例大行事としての茶摘みだったと思う。
それはそれで得難い時間ではあったとも思うが
この先、義兄一家も我が家もこの行事を受け継いでいけるかというと
正直、それは難しい。
世の中の流れはどこも同じなのだろう、
専業の茶畑農家はこの辺にはなくて
自宅敷地内やそこに隣接した土地にお茶を植えているわけだが
あちこちの茶畑が宅地になったり駐車場になったりするのを見るようになった。
茶摘み行事が次の世代へと受け継がれることはなくなって、
我が家も同じ流れを選択することとなり
この茶畑を相続した連れ合いの手によって、茶畑仕舞いとなった。

お茶畑Before
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お茶畑の最後の状態。
昨年は茶摘みをしなかったが
伸びた枝を剪定ばさみで刈り取って畝間にじゃがいもを植えていた。

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お茶畑After
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お茶の木を根元から伐採。
株は残っているが畑として使う。

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義母にはこの茶畑仕舞いは話していない。
義母が苦労して維持してきた畑の一つだから、
本当は義母を見送ってのち、仕舞いするのが良いのかもしれないが
こちらにも「時期」というものがある。
連れ合いや義兄が自分たちの手でお茶の木を片付け、
そしてそのあとしばらく畑として活用する
これが一番なのだろうし、それが可能なのは今。
あっという間にこの「今」は過ぎてしまう。
先延ばしにできること、できないことがあるが
義兄も連れ合いも、特に体力、気力の必要なものは待ったなしのお年頃。
いや、ホント。
60代70代はまだ若者のうち、という高齢化社会だが
出来る事出来ない事の見通しはつけておかないとね。。


確定申告準備

昨日今日と快晴で風も比較的穏やか、
とても春めいた陽気で過ごしている。
2月に入った今週は強い風で家が揺れる日が続いた。

1月30日撮影。
上のほうからたなびいているように見えるのは雪煙というのだろうか。

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2月1日撮影。
まさに「風雲急を告げる」の不気味な雲。
夕方所用があって外に出た時にこの大きな笠雲(吊るし雲)に気づいた。
みるみる姿かたちが変化するので、本当はもっと開けた場所で
山の形が良く見える所に行きたかったが、
その数分がもったいなかった。
案の定この日から強い風が吹いてきた。

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昨日2月5日撮影。
今日もこんな感じだ。

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1月は雪のない状態(降っても溶けてしまう)が続いたので
ようやく冬の富士山らしくなったなあと思ったらもう2月。
確定申告の月だ。
医療費は既に昨年一年分の夫婦それぞれの領収書をまとめて計算済、
JR利用して通院する私はちゃんとその交通費も加算する。
必要書類が手元に揃ったので昨日、国税庁HPから入力を開始。
保管しておいた昨年のデータを読み出せば、
住所や還付金振込口座、給与支払先情報等
一から入力せずに済む項目が多いので助かる。
今年は私が連れ合いの扶養に入っているので
連れ合いの確定申告に私の収入も入力せねばならない。
私にもわずかだが給与収入と年金収入がある。
最初うっかりこのことを忘れて、
今まで通り私は私名義で確定申告をする気でいた。
それではダメだと気付いたのが、
連れ合いの確定申告結果が還付金どころが
逆に税金徴収という結果になってしまった、からだった。
あれ?おかしいなあ、と入力内容を見直して
そうだ、私は被扶養者なのだった。。。となったわけ。
昨年の確定申告ではその前年、私は給与所得者で9月末まで働いていた、
しかし今回の申告では私はほぼ無職の状態だ。
で、私の源泉徴収票(2か月程働いた勤務先から届いた分と、年金分)を
元に修正すると、僅かだが還付金が出る結果に。

医療費については二人で合計7万ちょっとの支出だったが
なにしろ世帯所得が少ない。
所得合計の5%を差し引いた分が少しあって、これも還付対象になった。
私名義の生命保険料も、連れ合いのクレジットカードでの支払いに変更したので
連れ合いの確定申告でこの控除申請することにした。
生命保険料控除は、その契約者名義ではなく、
実質その保険料を支払っている人の確定申告対象になるということを
国税庁のHPで確認したからだ。

生命保険料控除

どうしても腑に落ちない、というかもっといい方法考えてくれないか、というのが、
マイナンバー番号を入力する欄には昨年のデータから番号が既に入力されているのだが、
しかしこれだけでは不足で、本人確認のための証明添付が必要になる。
マイナンバーが正しいことの確認と、
確定申告提出者がそのナンバーの正しい所有者であることの確認が必要なんだそうだ、
連れ合いの場合だと、マイナンバーカードはまだ作っておらず
その通知カードと免許書の写しを添付せねばならない。
(我が家は郵送申告、もし自宅でe-Tax環境があれば写しなどは不要らしい)
これ毎回確定申告時に必要、となると
(マイナンバーカードを持っていても写しが必要)
なんだか、なんのためのデジタル化なんだ?と思ってしまう。
結局印鑑は使わないけど、写しは必要よ、っていうのがデジタル化???
マイナンバーを新型コロナワクチン接種に活用したら、という話もあるようだが
確定申告一つとってもこんな感じだから、これはかえって行政現場の混乱を招くだけ、
それに固定住所を持たない人にはどうするの?なんて疑問もわくこの頃。。

本人確認に関するFAQ

まあ、なんであれ
どんなわずかな額でも還付される分については
こちらが申告・請求しないかぎり、1円でも戻ってこない。
今年のようにウィルス対策が必須の時には
極力身を動かさずに申告できる形で備えたい。
今年の申告期限は一ヶ月延長して4月15日まで、となったそうだ。

プロフィール

blogxxshio

Author:blogxxshio
訪問いただき有難うございます。

このブログについて紹介を。
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昨日から引き続き変わり映えしない
一日一日と思っていても
あらま!
気づけば60歳を超えました。
子どもの頃の「還暦」って
すごぉく年齢が上の人、
と思っていたけど
いざ自分がそうなると、
「それが?」って感じ?
そんな日々の記録です。
「老後」はより密接になりました。

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