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玉ねぎの収穫

つれあいのおじいちゃんは
自家用に作るものとはいえ近所でも有名な
玉ねぎつくりの名人だったそうだ。
義母が良く自慢していた(舅自慢ね)。
このあたりでは家庭菜園で玉ねぎを作る人が多く
軒先につるされている玉ねぎを良く見かける。

保存もきくので我が家でもつれあいが玉ねぎを作る。
おじいちゃんのように上手には出来ないが
小さくても形が悪くても玉ねぎは玉ねぎ。
昨年だったか玉ねぎが高騰したときは
子どもたちや友人に送って喜ばれた。

今年は暖かい(暑い?)日が早くに続いたためか
畑の作物の成長が思ったより早かった。
これほど気候の温度差が激しいと成長の早さを喜ぶというより
じっくり育つ時間がなくて急激に成長してしまうのは
野菜に悪い影響を残すのではないか、
と素人ながら(素人だからこそかも?)不安になるが
例えば玉ねぎの収穫にもその影響を感じる。
6月頃を目安に、玉が大きくなり地上の茎が倒れてくるのが
収穫の目安と教わっていた、
が、玉が大きくなりきらずに茎が茶色く枯れてきてしまう。
茎が枯れると吊るすことができない。
ある程度玉が大きくなったものを選んで
5月に入ってすぐ、少しづつ収穫を始めた。
一ヶ月近く早いよね、と言いながら
畑に残しておいたものが無事生育するのかわからないので
早めに収穫した分を子供や友人に送る。

玉ねぎを吊るすように、庭に作った農作業小屋。

20230525-1

今週は畑に残った玉ねぎを全て収穫することにしたようだ。
来週の天候が雨模様らしいので
安定した今週のうちに作業してしまおうということね。

中にはこんな小ぶりすぎるものも。
中が傷んでいるものもあって
保存できるほどの収穫は実はそれほど多くない。
でも収穫できただけで満足。
バケツ一杯にとれた小さい玉ねぎは
そのままスープやカレーにいれちゃうよ。

20230525-2

今日は義兄から「インカのめざめ」というジャガイモを貰った。
つれあいも以前作ったことがある。
やはり小ぶりだけれども蒸かしたり素揚げにすれば
あっというまに消費しちゃう。

我が家も毎年ジャガイモ作るけれども
堀り残したイモが畑のあちこちで芽を出して
勝手にジャガイモになってくれるのも
もちろん収穫して食べるよ。

20230525-3

きちっと売り物のように作らなければ、という人からしたら
なんだこりゃ、なんだろうけれども
趣味で楽しみにやっているんだから十分。
今夜はこの小ぶりの玉ねぎとジャガイモでカレーだよ。

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久々の友人の記事

昨日一昨日と2日続けての気温高のあと
一気に10℃近く下がると聞いていたが
思ったほど肌寒いという具合ではなくてホッとしている。
この先、電気料金も上がるという。
夏にはエアコン必須だし家計がキツくなるなあと思っていたら
ひさかたぶりに友人の記事が更新されていた。
昨年の10月以来の更新ね。

老後のお金の難しさ

昨日あたりから日経平均株価のニュースを耳にする。
今日はバブル後の最高根更新、だそうだ。
我が家の保有している株にその影響がでているものは少ないな。
株高にあわせて売ることは考えていないので、
ああそうですか、という感じ。

友人が記事に書いている「月5万円稼ぐ」の3つの提案のうち
1)働く 2)運用する
これは我が家も実行している項目。
1)働く、はつれあいと私それぞれ週に2、3日ほど。
曜日がほぼ固定なので予定の立てやすさがある。
そしてデスクワークでなく
動き回る作業が主なので適度な運動がわりになっている。
畑仕事が趣味のつれあいと違って私は家では座っていることが
多いので(パソコンや動画鑑賞、ミシン仕事等々)
週2日、1日5時間の仕事は貴重な運動時間の一つでもある。
つれあいが何歳まで働くつもりなのかは本人に任せているが
作業も慣れて自分で計画して動ける気安さはストレスがないようだ。
私としても週に2日、「亭主元気で留守が良い」満喫できるのはありがたい。

私は当面の目標は来年65歳の年金満額支給まで働くこと。
出来ればそのあとも70歳位まで働けたらなとは思っている。
スタッフさんの中には80歳の人もいる。
その人の働き方は私とは異なり週1日、2時間の仕事。
トータル週4日働いているようだ。
ご本人曰く、こうして決められた曜日時間に仕事がないと
家から出なくなるから、だそうだ、私と同じね。

収入はざっと、連れ合い私それぞれ月4万円強、計8万円位かな。
(都会と異なりこのあたりでは時給千円、はなかなか難しい)
つれあいの厚生年金は平均的な月額14万円強。
私は今はまだ月額3万円ほどだが65歳以降は月額9万円弱くらい?
いろいろ厳しい時代なので私の年金は月額8万円で試算している。
だから私が65歳以降は少しゆとりがでて貯蓄もできるかもしれない。
今はなかなか余裕はない。
でも
2)運用する
も実行していて夫婦合わせての配当金が年額約24万円、
つまり月額2万円ほどだ。
以前はこれをもとに株を買うことも計画していたけれども
今はこの年額24万円の配当以上は望まなくて良いかなと考えている。
このお金は旅行の足しにしたり楽しみに使うことにしている。
国内旅行と言っても案外お金がかかってしまう。
せっかく出かけたらその土地の食事を楽しみたいしね。
旅行とまでいかなくてもたまに近隣に飲みに出歩く資金にもなる。
中には株主優待目当てで購入したものもあり
忘れたころに届くのは楽しいものでもある。
加えて少ないながらも寄附の資金にすることもある。

3)シェアする
はこの土地では難しい。
でも、もともと保険は必要最低限だし
携帯電話の見直し、車の買い替え等も済ませた。
何といっても彼女は我が家のファイナンシャルプランナーでもあるので
実は既に同様の提案を数年前に受けていてそれを実行しているだけなのだ。

つれあいと私二人で現役引退し
食事を共にする時間が増えて
一日の終わりの晩酌が定番になっているよ。
2人で缶ビール350mL分け合って
そのあと梅酒、というパターンね。
お腹が空いて、ご飯が美味しくて
冷えたビールがあれば十分。

あと、興味津々なのがこの記事を書いた友人が
最近住まいを替えた話。
なかなか容易でない壁を越えて、シニアの引っ越しの大変さが
あるようなので、どこかで文章にしてくれることを
待っていますよ。

理不尽

義母が入所した老健では携帯電話持ち込み不可。

義母に携帯電話を持たせたのはドイツ義姉。
春に義母が入院したときに持たせた。
持たせたといってもドイツ義姉が契約したのではない、
義兄の家族割で用意させた。
自分だけでなく、ドイツ義姪にも日本の祖母との電話は必要なのだ、と。

だからドイツ義姉がこの携帯電話不可に憤慨したのは予想内。
実は更にもう一人、
このことについて義兄に抗議してきた人がいる。

義母との電話に人生をかけているような御仁が
ドイツ義姉の他にこの世に存在するなんて
はあぁぁ?
と思ったらそれは義母の小学時代の同級生。
94歳女性、県外に住む。

20数年前?から同窓会をきっかけに交友が始まったらしい。
義母によると頭の良い人だったらしく
「憧れ」の人でもあったような言い方。
しかも今はご子息が医者ということなので
これはもう教師医師弁護士にひれ伏す義母にとっては
願ってもないお付き合いの相手ではある。
手紙のやりとりはもちろん、電話も頻繁。
数回、会食の機会もあったようだが
付き添った義兄によると義母の精いっぱいの
お上品ぶった口調が可笑しくてならなかったという。
義母側がお相手を丸ごと受け入れて全肯定の関係なのね。
同級生さんにしたら自分の言う通りに
話を合わせてくれるからそれはそれで気分が良かったのだろう。
先に携帯電話を使いだした先方は、怪我か病気かで
入院していた時も連日病室から義母宅に電話をしてきた。
義母から電話することもあるが
定時連絡のように先方からかけてくるのが多いようだ。
(ドイツ義姉と同じだわ)

ともかくその同級生女史が今回の携帯電話不可に
怒り狂って義兄に抗議してきた。
いわく「人権侵害」だという。
なにやらあれこれ施設側に要求事項をならべ上げて
このように交渉してその結果を私に報告して下さい、
とまでのたまわったそう。
しかもその電話、朝の7時というから驚きだ。
義兄は丁寧に対応し説明したようだが
8時近くまで延々と続く長電話に義兄嫁さんが
しびれを切らして交代し
「朝は我が家も忙しいので・・」と言ったとたん
ガッチャン!
と切られたそう。
暇に任せて早朝から相手を構わず電話をかけることができる人は
無敵である。同級生女史にとって義母やその家族は
自分を丸ごと受け入れて当然、のものなんだろう。
私はあったこともないし声を聞いたこともないが
話を聞くとカクシャクとした印象、
おそらく自分の老いを認めない典型だろう。
自分の家族に対しても上位に立っていないと済まないタイプ?
しかしこちらは赤の他人。
こんな失礼を受ける筋合いはない、
ご家族に抗議したって良いくらいだ。
・・着信拒否したらどうですか?と私、義兄嫁さんに提案したもんね。

この話を聞いたとき義兄が非常に疲れた顔をしていた。
この電話はその日の朝だったそうだが
義兄にしたらドイツ義姉だけでも辟易しているのに、
という思いがあったのだろう、
心の鬱憤をだすようにこの話に続けて
最近はドイツ義姉からのLINEは一切開いていないのだと言った。
しんどい、そうだ。
ドイツに戻る直前、当時お世話になっていたグループホームに対する
理不尽な不満をぶつけてくるドイツ義姉に対し
堪忍袋の緒が切れた義兄が壮大に口喧嘩をしたが
その後もドイツからあれこれ指図するのか不満を訴えるのか
読むのが精神的にしんどい「口撃」メールが途切れないので
このままでは自分が参ってしまうから、メールは見ない
相手はしないことにしたと言う。
義兄いわく、身体を使って疲れるようなことは厭わないが
精神が疲れるのは本当に心底、無理だ、と。
自分は姉弟の縁を切るような考えはないが
このままでは自分がおかしくなりそうだ、と吐露した。
ひょっとしたら今朝の同級生女史の電話も
義母の携帯電話不可に関する抗議内容が
ドイツ義姉の訴えと同じ、なので
ドイツ義姉と連絡を取り合っているかもしれない?
そう勘繰りたくなるよねえ。
しかしね、義母との電話に依存している人間が
2人もいるなんて、いつでもどこでも話し相手を確保できる、
携帯電話の恐ろしさよ。。

介護担い手の家族は全く不満も不平もありません。
直接施設に連絡取って交渉して下さい、
義兄はそう言って電話番号を教えたんだって。
果たして施設に直接抗議したのかな?
ドイツ義姉はやりそうだけれど・・?

携帯電話依存、介護に新たな波風立てているんだね。。
便利が進む世の中、思いもしない形で足元をすくってくるってことだわな。

母の日と贈り物

今日は「母の日」。
私は自分の母親にもつれあいの母親にも贈り物はしない。
・・いや、しないことにした。
過去には私の両親には「母の日」+「父の日」=「お中元」として
父の好物のうなぎなどを贈っていたこともある。
それは子供たちが成長して、からのことで
父が完全に仕事をリタイヤした以降だったと思う。

義母には何を贈ったかな?
カーネーションとかエプロンとか?
義父には申し訳ないが「父の日」は影が薄かった。
というか。
改まって「母の日」「父の日」に贈り物、というのが
どうにもこうにも背中がむずかゆくてならない。
義父母などは、義兄嫁さんは何をくれた、
次男嫁(私のこと)は何だった、と品定めをするような
(悪気なく口に出てしまうから始末に悪い)言動があり
もういいや、なんとでも非難してくれと
一切贈り物をするのを止めてしまった。
実家も交友関係が広く、母一人になった今も
頂き物が多い家、いつも冷蔵庫がはちきれそうなので
食品関係の贈り物はしないほうが良いのだ。
衣類を贈る?もっとハードル高い。
母娘だからといって親の好みを把握していると
思うほど自惚れてはいない。

気持ちだよ、という声もあるだろう。
しかし私にとって贈り物、はトラウマなのだ。
それは結婚時に山のように受け取った結婚祝いの品々、だ。
それは従姉妹たちから贈られた新家庭で重宝するが
自分で揃えるとなると物入り、という有難いものもあったけれど
大部分は勘弁して下さい、というものだった。
中には絶句するような、私の趣味嗜好など度外視で
贈り主の好みか、お店で新婚家庭にはこれが良いでしょう、と
勧められたものなのか、というようなトンデモナイ代物も多かった。
ピンクの花柄の食器類とか、お人形のついた卓上ランプとか。
時代は1980年代半ば、だ。
デパートでもギフトコーナーが充実していた頃なんだろう。
贈り主の殆どは私と直接の交際関係がある人ではなく
私の後ろにいる親を見越してのお祝い品、だった。
親類筋ではある意味「出世頭」だった父には
親類縁者経由で就職の世話を求めてくる人も多かった。
両親は頼まれ仲人も含むと数十件それ以上の結婚の
取次をしていたほど、交友関係も広かった。
両親に対してお世話になったと義理を感じる人たちが
娘である私へ結婚祝いを送ってくださったのだ。
母親にも、これは親のつきあいの結果だから、と言われた。
にしても、だ。
これはないんじゃないの?呆れるというか怒りを通り越した。
せっかくお祝いして下さったのだから、という理屈はわかるが
自分が使いたいとも室内に置きたいとも思わない調度類を
贈られても、どうしろというのだ?と辟易した。

殆ど処分した。

処分するのも決して気分が良いわけではない。
他人様の厚意を踏みにじるような気分を抱えて
バザーに出したり引き取り先を探したり、最悪捨てた。
新品を処分するので目に付く。
結婚後に住んだこの地でのご近所さんには
「せっかく頂いたのに?」と非難するような
視線をうけたこともある。
あのころ、メルカリとかがあればね。。

贈り物は私にとってトラウマになった。

逆に自分だって自己満足な贈り物をしたことはある。
あれは受け取っても困っただろうな、と後になって
反省することも多々。
だからといって人に贈り物をすること自体を
やめてしまおう、とは思わない。
自分にとっても楽しいこと、だから。
だからこそ、難しいよなあと思うし
贈る品も贈るタイミングもすべて
自分で思いつきたいと思うのだ。

我が家の子供たちもこのようなイベントギフトを贈ってくることはない。
誕生日のお祝いも子供の幼かったころだけ、だった。
我が家がそういう習慣がない家庭で自分の子供時代も
そうだったなあと思い出す。
マイペースでいきましょう、ということね。


4年ぶり。

4年ぶりに大阪へ行ってきた。
2泊3日プチ旅行。
計画は2月頃から始めていた。
JRの新幹線+ホテルのセットプランを使う。
ゴールデンウィークの大阪往復新幹線を
自由席で、という選択肢はもともとない。
多少費用がかかっても指定席確保が一番だ。
ホテルもセットのプランだとお得感がある。
乗り込んで直ぐにビール。

20230508-1

車窓から富士山が過ぎていく。

20230508-2

旅の目的はこちら。

20230508-3

このコンサートは→ 春一番2023

つれあいは20年ほど前に息子を連れて車で行ったことがあるが
私は2018年からの参加。
息子夫婦が大阪にいるので、年に一度こちらから出かけて
お嫁さんのご両親ともども食事(お酒)を楽しむ恒例行事に
出来るかな、と2019年もでかけた。
2020年には「終・春一番」と銘打たれていた。
え、これで終わりになっちゃうのか?と思っていたら
新型コロナ蔓延のため中止となった。
今回「終」の一文字は外れたが再開まで4年かかった。

なにしろ4年ぶりだ。
出演者もスタッフも観客も相応年を取る。
こちらの世界から旅立ってしまった人もいる。
誰彼となく話していたが
みんな良く生き延びたね、感が満載のコンサートだった。

友部正人、三宅伸治。
2018年には鮎川誠もいてこの3人でのスリーキングスを楽しんだのを思い出す。
今回フィドルは佐藤良成(ハンバートハンバート)。
隠れているけれど、有山じゅんじがフルートで入っていて
この4人で「一本道」、良かったな。
三宅伸治の声は伸びるなあ。

20230508-4

最終日、5月5日は帰りの新幹線の都合で
最後までいることはできず、残り3人というところで席を離れる。
貼りだされているのは、登壇した歌手の一覧。
このあと
木村 充揮
いとう たかお
ハンバートハンバート
だった。

20230508-5

出口に向かっていたら、木村 充揮がステージに上がったので
ぎりぎりまでいて2曲目の途中、背中に聞きながら帰路についた。

20230508-6

当初、最終日の天気が雨の気配だったので
(日傘、雨傘とも禁止)雨対策をしておこうかと思っていたら
少し外れてくれた、おかげで3日間晴天かつめっちゃくっちゃ暑かった。
平均年齢が高いうえに、みんな待ちに待った春一番、
おまけに自分が4年の間に体力落ちていることを忘れているから
夕方にはあちこちでフラフラしたおっさん達が続出。
炎天下で体調崩した人も多かったようで
主催者は水分補給を!アルコールは水分ではないです!と
舞台の合間合間に叫んでいたよ。
かくいう私も初日、舞台の正面に近い席に座ったら
そこは朝から夕方まで日差しを遮るものがない所。
ビールばかり飲んでいたら、熱中症とまではいかないが
熱がこもったというのか、夜にやけに首の後ろが凝って
寝苦しく、強烈なだるさが翌朝まで残ってしまった。
2日目3日目は用心して比較的日陰の時間が長い、舞台横側の席で
水分補給に集中して過ごすことにした。

息子夫婦も3日間の通しチケットを買っていて
お互い自分たちのペースで会場に来て、
適当に席も見つけて、でだったが
夜は一緒に行動して案内してもらった。
クラフトビールの飲み歩きをしたり、
つれあいの希望で天神橋筋商店街に行ったり。

お嫁さんの父上が体調を崩してご一緒できなかったのは
残念だったが、なんとPCR検査を受けてみたら
陽性だったと聞いて、驚いた。
お嫁さんによると風邪ひくこともない丈夫な人が
とてもしんどそうにしているらしい、と聞いていたので
やはりまだ新型コロナは油断できないと思った。
この時は分類2類相当、の期間中だったが
今日からは5類に見直されたね。

油断せず混雑する場ではマスクを持ち歩いて
必要に応じて身を守る、のは当分必要かもしれない。

プロフィール

blogxxshio

Author:blogxxshio
訪問いただき有難うございます。

このブログについて紹介を。
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昨日から引き続き変わり映えしない
一日一日と思っていても
あらま!
気づけば60歳を超えました。
子どもの頃の「還暦」って
すごぉく年齢が上の人、
と思っていたけど
いざ自分がそうなると、
「それが?」って感じ?
そんな日々の記録です。
「老後」はより密接になりました。

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